2023年06月30日
マリーアントワネットとプチトリアノン事件。解読された手紙。
「一生結婚しない。不自然な事かも知れないが、それでも良い。愛するあの人とは結ばれる事は無いならば 誰とも結婚しない。」
アントワネット
【マリーアントワネットとフェルセン伯爵の手紙】
2021年10月1日
マリーアントワネットと 恋人と言われるフェルセン伯爵の間で交わされた手紙が解読されたと発表された。
230年前の手紙である事や 暗号化されていた上に黒塗りだった事で 解読には難関を極めたが
筆跡鑑定とマクロ蛍光X線分析で15通のうち8通が解読可能となったそうだ。
フェルセン直筆の手紙
そのうちの一通は
フェルセン伯爵が彼の実妹に宛てた手紙だった事も分かった。冒頭の文章がそれである。
フェルセン伯爵
【マリーアントワネットとプチトリアノン】
マリー・アントワネットが革命の露と消えてからも、彼女は宮殿の庭園で目撃されており 多くの証言がある。
目撃者に共通している事は「気分が悪くなった。風景が変わった。その後、アントワネットを見た。」というもの。
その中でも有名な体験談をご紹介。
プチトリアノンの農村
1901年8月10日(土)に2人のイギリス人の女性達が体験し、書籍にもなったお話し。
この二人は、後にオックスフォード大学の寮長と学長になっている。
彼女達が観光でヴェルサイユ宮殿を訪れ広い庭園を歩いていた時の事。
2人の男性に出会ったが、彼らは見た事の無い古めかしいグリーンの服装に18世紀のデザインの帽子をかぶっていた。
庭園のスタッフだと思った彼女達は突然 具合が悪くなり気分が悪くなってしまう。
アントワネットと子供達
体調の変化を感じながらも歩いて行くと、一件の家の前に立つ女性と 水差しを持った少女がいた。
2人の服装も、床までの長いスカートと白い帽子という古風なものだったと言う。
時が止まったかのような 絵画かのような、不思議な空気の中にいる二人は非常にゆっくりと動いていた。
そしてその先の音楽堂の様な建物のそばにも、貴族を思わせる 大きなつばの広い帽子とマントを身に着けた男性が座っている。
アントワネット
次に
イギリス人女性ふたりは、庭園の芝生の中で 写生をしている貴族の女性を見かける。
白い麦わら帽子に柔らかそうなグリーンと白のドレス姿。
その女性はとても美しく凛とした表情を浮かべていた。
この不思議な体験を、帰国した後もふたりは忘れられず
その翌年の1902年1月2日、女性のうちのひとりが 再度ヴェルサイユ宮殿を訪問した。
あの時感じた不思議な体験を、確かめたかった為である。
アントワネット
マリー・アントワネットが愛した館、プチトリアノンへの橋を渡った頃
彼女はあの時のと同じく気分が急に悪くなり
そしてあの時の様に不思議な空気の中で、古風な人々を目撃する。
赤や青のマントの男性達、目に見えない人々のフランス語の会話、流れて来る音楽。
彼女は再び不思議な時間を体験した。
アントワネット
その2年後、1904年7月に 今度は二人でヴェルサイユにやって来た。
ふたりは、以前に見た家や場所を探して歩いたが 見つからなかったと言う。
彼女達はイギリスに帰国後、解明するべく歴史上の記録を調べた。
すると、あの時に出会ったグリーンの服の男性は マリー・アントワネット時代の庭園の守衛である事が分かった。
アントワネットと子供達
女性と水差しを持った少女についても発見があり
1783年の地図に載っていた家には、母親と少女が住んでいた事も分かった。
音楽が聞こえていた場所には、アントワネット時代には音楽堂があり
そこにいた男性はお肌の特徴から マリー・アントワネットの側近ヴァンドルイユ伯爵であった事まで解明出来た。
更に
女性のお顔がアントワネットに良く似ていた事・アントワネットは緑色の上着が好みだった事・白いドレスを好んだ事。
芝生で写生していた女性がアントワネットであった事も確信したという。
アントワネット
2人の旅行者達は、タイムスリップしたのでしょうか。
彼女達のこの体験は、本当にあった心霊事件「プチトリアノンの幽霊事件」と呼ばれる様になる。
フェルセン伯爵
【マリーアントワネットとフェルセン伯爵】
アントワネットの部屋
アントワネットは、ヴェルサイユ宮殿から1キロ程離れた場所に 離宮プチトリアノン宮殿を贈られた。
そこでの彼女は、土に触れ農村生活を楽しみ 女優としてステージにも立ったとのエピソードがある。
親しい人物達以外は立ち入り禁止とされ、夫でさえ自由な出入りは出来なかった。
そこでのアントワネットの部屋は、小花があしらわれたカーテンや家具で統一されている 可憐なインテリア。
離宮プチトリアノン宮殿の庭には、洞窟や愛の殿堂(東屋や愛の神殿とも呼ばれる)もある。
そこはアントワネットとフェルセン伯爵が密会した場所と言われる。
愛の殿堂
☆フェルセン伯爵家は1839年に断絶となっており、子孫については不明。彼の最後は民衆の暴動によるものだった☆
☆スェーデンの名門貴族出身のフェルセンは、容姿端麗でモテモテ。アントワネットも思わず一目ぼれってトコだったのかね☆
☆アントワネットは身長154cm、フェルセンは身長188cmくらいだと思われる。おっきいね。
密会した洞窟
【ヴァレンヌ国王一家逃亡事件】
アントワネット一家が国外逃亡しようとした時には、逃亡準備資金として120億円以上(金額は所説あり)を用意したと言われるフェルセン伯爵。
んでも、この資金の一部は フェルセン伯爵の別の愛人が用立てたんだと!
ヴァレンヌ国王一家逃亡事件
愛人の愛人の為に何億とか差し出すって、なんかモヤモヤするんだが・・
この計画は失敗してしまう。成功していたら歴史も変わったのかな。
ヴァレンヌ地図
なぜ失敗したのか?原因としては、計画予定の度重なる変更とか 荷物も多さとか 色々言われる。
ワイン8樽、コンロ2台、ドレス用のタンスまで!
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小林ジゼルの勝利宣言